みんな大好き。明るい北朝鮮ことシンガポールという国
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今回はタイトル通りみんな大好きなシンガポールについて紹介します。
マーライオン、マリーナベイサンズ、ユニバーサルスタジオシンガポールなどなど超有名観光地を有している国です。
僕もシンガポールが大好きです。ハネムーンは 是非シンガポールにしたいくらい良いところでした。
その前に相手を見つけないといけないのですが・・・
とまあそんなことはさておき、シンガポールは男女問わず人気な海外旅行先で毎年上位ランキングに名を連ねているところです。
理由は大体この3つといったところでしょうか。
- 綺麗でおしゃれ
- 安い
- 近い
実際に行ってみて上の3つは概ね正しくてアジアの中でも1・2を争うくらいキラキラして見えるこの国は、ダークサイドも持ち合わせています。
これを書くことで捕まらないか心配ですが、がんばって書いていきます。
はじめに・・・シンガポールとは
シンガポールとはマレー半島の最南端にある都市国家です。
都市国家とは都市が一つの国として独立している状態の国家のことです。
日本でたとえると東京都が東京国として独立したら都市国家となります。
他にも有名なのはバチカン市国やモナコ公国などがあります。
国土は716平方キロメートル(23区と同じくらい)
人口は547万人で構成は華人74%、マレー系13%、インド系9%、その他3%
国語はマレー語 、公用語はマレー語、英語、中国語、タミル語
らしいです。(外務省調べ)
僕が行った時はここは東洋か!と思うくらい東洋人だらけでした。
シンガポール人同士は中国語、対観光客や外国人には英語と巧みに使い分けているそうです。そんなこともあってか英語能力ではアジア1を誇っています。しかし国語であるマレー語は1言も聞いたことなかった・・・
そしてシンガポールには有名な別名があります。
明るい北朝鮮
マンセ~
人気旅行先なのに明るい北朝鮮なんて真逆ですよね。
では、どうしてそう呼ばれるのでしょうか。
独裁上等!
シンガポールという国は一党優位政党制という制度をとっていて人民行動党という政党が建国してからずーっと政権を握っています。
建国以来ずっと同じ政党が政権を握っているとはいえ、イギリスの植民地だったこともありちゃんとした民主主義国家なので首相や政党はちゃんと国民投票によって選ばれます。
しかし、国民の皆さんは人民行動党が大好きなんですね。1965年から50年間一度も政権交代していません。
現在、3代目となる首相はリー・シェンロンさんが務めており彼はシンガポール初代首相のリー・クアンユーさんの長男です。
一族で牛耳る・・・いや、一族で結束し、たくましくのし上がるいかにも中国ぽいやり方をとっていますね。
それもそのはずシンガポールの成り立ち自体がマレーシア国内の華僑(中国系マレー人)と先住民のマレー系の人たちとの対立があったからです。
このことについては後述します。
一党独裁・・・いや一党優位政党制だけが明るい北朝鮮と言われる所以ではありません。
シンガポールをはじめとするインドネシア・フィリピン・タイなどの東南アジア諸国は以前開発独裁という手法を取っていました。これは経済発展を遂げるためにはまず政治が安定しなければいけないというものです。
要は
みんなで豊かになろう!でもそのためには無茶言っても我慢してね!
ってことです。
これによって東南アジア諸国はめまぐるしい発展を遂げましたが、今現在もこの体制をとり続けているのはシンガポールだけです。
また、政権の維持・安定のためには手段を問いません。
独裁であるにも関わらずめまぐるしい経済発展を遂げ、安定しているため明るい北朝鮮と呼ばれているそうです。
厳罰、厳罰、そして厳罰
ではどのように治安や安定を維持しているのかというと度を過ぎた厳罰主義によって維持されています。
有名なところでいうとシンガポール国内にはチューインガムを持ち込むことができないことでしょうか。
もし持ち込むと$1000の罰金です(8万円くらい)
観光客向けにこんなイラストがいたるところにあるような国。
別名:FINE CITY(罰金の街)
です。
これらは観光客向けにあるのですが、国民向けには情報統制や風説の流布、結社の制限などがかけられているのでこれらの罪で捕まると逮捕状なしで捕まって刑務所送りになります。度が過ぎた行為は死刑になったりするレベルです。
また、公共の施設破壊や同性愛(男性同士のみ)で捕まると鞭打ちの刑が処されるようです。
こうして、綺麗で治安の良いシンガポールという国のイメージと政権は保たれているのです。
明るくなれた理由
独裁と聞くとあまり発展できないような先入観が植えつけられているのですが、どうしてシンガポールは発展して明るくなれたのでしょうか。
その理由はシンガポールという国の成り立ちまで遡ります。
シンガポールは1800年代初頭は人口たった150人の何もない島でした。
そこにイギリスの東インド会社で働いていたトーマス・ラッフルズという人がやってきて、シンガポールの地理的重要性に気付きました。(世界最大の花ラフレシアはラッフルズさんの名前から付けられています)
そしてシンガポールは無関税の自由港湾都市としてたった5年で人口が1万人にまで発展していきました。その時、同じイギリスの植民地であるインドや中国(清)から労働者を多く受け入れていました。
そして1900年代中ごろまで発展を続け、イギリスの東南アジアの経済的兼軍事的要所として15万人近いイギリス軍が駐在するような国になっていました。
その後、第二次世界大戦が勃発し、一時的に日本軍に占領されますが終戦するとシンガポールという国に戻るのではなくマレーシア連邦の1州として数えられることになります。
しかし、働き者の華僑(中国系)とのらりくらりなマレー系ではその差は歴然でどんどん格差が広がっていきました。
それに端を発してマレーシア連邦が取った政策がブミプトラ政策です。これは簡単にいうとマレー系は優遇しますよ~って政策で現在も続いています。
マレー系は入試がも楽だし学費もタダとか露骨な政策ですね。
そんな政策もあって華僑とマレー系では対立が進み、マレーシア連邦はシンガポールを州から外してしまいます。
すると、シンガポールは困ってしまいます。
あぁ土地もねえ!、金もねえ!、飯もとれねえし水もとれねえ!おまわり毎日ぐーるぐる!
おらこんな国嫌だあって言いながら発展の父、リ・クアンユーさんがとった行動は海外資本を集めることでした。
税金を下げたりいろんな手段で海外から企業の誘致をし、国力を高めたり。元々港湾都市として発展していたため金融業や保険業(保険や株は航海などから発展した概念です)も発展していたためそれを駆使して東南アジアの一大金融センターとして発展し無事に明るくなれたのです。
最後に
明るい北朝鮮や独裁という表現をしていたため何もしてないのに拘留されたり逮捕されたりするんじゃないかと心配されるかもしれませんが、日本人レベルのモラルさえ守れば逮捕されたり罰金されることはないでしょう。
親から受けた教育や小学生の時の道徳の授業などを思い出してみてください。モラルに反したことをしなければ法外なお金を徴収されたりむち打ちの刑に処されることなく治安もよく綺麗で英語の通じる国際都市を楽しむことができます!
東南アジアという概念が打ち崩される素晴らしい国です!